新選組の楽しみ方
新選組は今や「国の改革を夢見た尊王志士たちを弾圧した白色テロ集団」という汚名を完全に返上したと言って良い。というのは、今の創作媒体における彼らの描かれ方からも明らかではないか。
参考までに、七月に自分はTwitterであるアンケートを行った。
新選組隊士といえば…?
①ゴリラ
②悪・即・斬
③水着実装おめでとう
④あんぱん
というものであり、自分は一切新選組隊士の本名を出していないのであるが、それでも「誰が誰かわかりません」というようなことはないだろう。 *1
少し前の「忠臣蔵」よろしく、今や新選組は時代物の名物となったのである。
ともなれば、当然新選組贔屓な作品は増えるであろうし、それは薩長を目の仇にするような作品の増加も意味する。
加えて新選組で贔屓されるのは、主に近藤土方といった試衛館の人々であったり、永倉斎藤といった長生きした人々である。
- 内部粛清
- 派閥争い
- 素行不良
- 無理な金策
こういった新選組の悪い面は、決まって他のさまざまな隊士が背負うことになる。
しかし(自分含めであるものの)こういった隊士たちが好きでやまない人々というものも当然存在するわけであり、そういう人たちは当然ながら「こんな書き方!」と声を荒げる場合が多い。
理不尽な推しの扱いに憤る古今東西の歴史ファンよ、それを堪えて一度立ち止まって欲しい。史実と創作は別物なのである。
これは「創作は創作なんだから割り切れよ」という意味でも勿論あるのだけれども、それ以上に「史実の新選組と創作の新選組では、その在り方や需要が全く違う」という意味合いである。
百年ほどの月日をかけて積み上げられた、大衆娯楽の中の「新選組像」は、既に歌舞伎の演目やお決まりの台詞のように浸透している。
伊東甲子太郎が近藤抹殺を計画する策士であったり、武田観柳斎が男色家であったり、谷三十郎が暗殺された槍遣いであったり
これに最早「史実は違います!」と声を上げるのは、野暮である。
というか作品を仕上げる以上、作り手は大体そういう「実際はこうでした」というものは理解している。しかし史実より面白くなかったり、キャラが薄くなってしまう場合がある。
しかし、前述にもある通り新選組は戦前のイメージを今、完全に払拭しつつある。
かつては悪役として描くのがお決まりであった彼らも、今やゴリラやあんぱんやマヨネーズというキャラクター性が付属され*2、「悪・即・斬」の正義の人として牙突零式をぶち込み、水着の実装を心待ちにされているのである。
時代は今も動いている。流行は移り変わるのである。
もしかすると、伊東甲子太郎が女体化したり、武田観柳斎が正義の人として斎藤一に牙突零式をぶちこんだり、谷三十郎の水着の実装が心待ちにされるかもしれないのである。
待ちわびたそんな日がいつか、いつか来たとき、筆者は絶対にやりたいことがある。
新選組隊士といえば…?
①女体化参謀
② 正義の軍師
③水着七番組長
④あんぱん
とツイートするのである。