沖田総司を探して

ヒラメ顔の美剣士・沖田総司

 今やジャニーズみたいなアイドル剣士となった沖田総司。基本的に美形で描かれていることも手伝って、新選組を扱う作品ならば彼は必ず狭い月代と後ろで結んだポニテ髷でもって登場する。

 近年では美少女になったりバズーカを持ったり、持ってた刀が擬人化したりとその影響力は計り知れない。

 

 さてなぜこのタイミングで沖田総司を語るのかというと、有名な「沖田総司はヒラメ顔」説が否定されつつあると最近知ったからである。

 僕は創作の沖田が美形なことについて「でも、本当はヒラメ顔なんでしょ?」といったことを言う人が大嫌いなのであった。まるで沖田をカッコいいと妄信する創作者が、史実という現実から目を背けたのを嘲笑している様に聞こえる。

 と難しく言っているが、要するに野暮ったいから嫌なのであった。

 しかしそれが否定されたとあらば、後はこっちのもんである。鬼の首を取ったように「沖田総司はヒラメ顔」と言っている輩に、鬼の親分の首を取ったように「それは近年否定されてます」と言えるのである。Wikipediaのリンクと一緒に。

 

 以下、Wikipediaより引用

 なお、巷の「総司=ヒラメ顔」説は、佐藤彦五郎の曾孫がテレビで谷春雄の話にのってつい口走ってしまったのが始まりとされ、谷は「総司がヒラメ顔」というのは「のっぺらぼうという意味ではなくて、一族や兄弟の写真がみな目の間隔が寄っているから」と話している。

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「佐藤彦五郎の曾孫」とは、直系でいえば佐藤昱のことである。 彼と谷春雄がどの番組でそれを語ったのかは不明だが、今僕の手元にあるiPhoneでできる限りのルーツをたどってみると、どうやら昭和五十年に谷自身が日野で開催した「新選組を語る会」というので、二人は会っているらしかった。

 それでまたこの会に参加した遺族の方々が、そうそうたる面子であるので、インパクトのために逐一書いておく(一応、遺族の個人名は控える)。

 土方歳三子孫、沖田総司子孫、永倉新八子孫(二名)、鈴木三樹三郎子孫、島田魁子孫、松平容保子孫、松本良順子孫、小島鹿之助子孫、佐藤彦五郎子孫

 著名な人物の名前のみ挙げたが、他にも新選組隊士や幕臣の子孫の方々が日野に集結し、新選組を語り合ったそうである。

 そしてこの様子はマスコミにも取り上げられたらしく、そうすると上述の「沖田総司ヒラメ顔発言」はここでなされ、それがテレビ放送されたことで今日に至るのではなかろうか。

 遺族の二人が喋っただけで、ここまで「通説」と言わんばかりに普及してしまっているというのは中々に奇妙なふうに思える。しかしよくよく考えてみると全国の新選組ファンらにとっては、思ってもみなかった推しの新たな一面を知ることができるかもしれないビッグイベントなのである。「準公式」の貴重かつ最大のイベントであるがゆえに、発言一つで一喜一憂してしまうのも不思議ではないと思う。

 

 僕はというと、これまで沖田総司ヒラメ顔説について「ヒラメ顔≠美形」として考えてはいなかった。というか、誰も彼の顔について特徴的な証言を遺していない以上、そこまでヘンテコな顔だったとは考えにくい。してみれば、おそらく彼は特徴の無い顔だったのだろう。せいぜい藤原竜也みたく平べったい顔であるとか、草彅剛みたくエラの張った顔であるといった程度だったんじゃなかろうか。例としてイケメン二人を挙げたのは、「こういうタイプの美形だったのかもしれないじゃないか」という僕の抵抗である。いや、美形じゃないにしろ「フツメン」ぐらいで。

 しかしそれも否定されてしまったようで、結局のところ現代の我々は沖田の顔については姉の沖田ミツであったり、遺族の顔写真であったりから想像するしかない。

 彼の写真自体はあったらしく、それは姉のミツ本人の証言によるものだから、信頼性はある。しかし総司の次姉キンの文机にしまってあるとされていた写真は、後年調査してみたものの見つからず、結局「引っ越しの際に可燃ごみと一緒に処分した」と結論付けられたらしい。

 でも僕は、実は写真はあったんじゃないかと思っている。そして「薄命の美剣士」か「ヒラメ剣士」かとワクワクして遺族が写真をめくったところ、そこには陸上部によくいる色の浅黒い、ごく普通の田舎青年のような男が狭い月代とポニテ髷でもって座っていた。ので、そっとそれを戸棚にしまい込んで「沖田総司の顔は、永遠に謎ということにしておきましょ」と。

 だって唯一残った写真をあっさり捨てちゃったなんて、何だかやるせないんだもん。

 

 

 血に飢えた狼・沖田総司

 ここまで書いたことで明白となったのは、如何に新選組の現代にいたるイメージが曖昧であるか、そしてテレビという媒体の影響力である。思えば新選組をここまで有名な組織にしたのも、『新選組血風録』といった小説・ドラマ媒体であった。

 さてここで僕が大ファンの漫画家・みなもと太郎氏による沖田総司の人物像について触れていきたい。氏もまた昨今の新選組人気の根幹をテレビの普及にあるとしており、沖田総司の人物像について、著作内でこう語っている。

 だいたい戦前までは新選組は圧倒的な悪役で、 たまに近藤勇が人格者に描かれることはあっても、脇役の土方や沖田などわからず屋の無頼漢並みにあつかわれていたのである。

 勤皇方が絶対的に正義だった戦前の映画では、沖田は常に血に飢えた狼の役回りであった。

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 この証言をそのまま当てはめれば、戦前の沖田の人物像はSEGA龍が如く・維新』の沖田総司(真島吾朗)が近いだろうか?(厳密には彼は違うのだけども、まあ話が逸れるのでやめよう)

 今の我々には全く馴染まない設定である。一応現代でも沖田が殺人鬼になってるイラストや小説はいくつか見るが、それでもその根底にあるのは司馬遼太郎の沖田であるだろう。爽やかで朗らかで、しかし斬るときは斬る、という造形をここまで有名にしたのは『新選組血風録』『燃えよ剣』である。

 ここで「作った」ではなく「有名にした」と記したことには意味がある。というのも司馬は上記の二作執筆の際に、ある人物に取材したとされる。

 それが沖田総司はじめ新選組研究の代表者・森満喜子氏である。

 ここでまた僕のiPhoneが火を吹く。

 彼女が新選組研究にのめり込んだきっかけは、ある映画らしい。それが『維新の曲』*3であるという。これは戦前の作品であって、坂本龍馬桂小五郎はもちろんのこと、真木和泉別府晋介藤堂平助から谷三十郎まで登場する113分の映画である(おそらくほぼダイジェストなのだろう)。

 さてここで疑問なのが『維新の曲』は戦前の映画であり、その沖田に魅了された森満喜子は彼の研究を続け、その成果を司馬作品で発表したという見方もできる。

 僕が思ったのは「だとすれば全然血に飢えた狼(殺人鬼)じゃあなくねえか」ということであった。

 みなもと太郎も森満喜子が魅了された作品については「戦前にもごくたまに作られた新選組に同情的なリベラル映画」と語ってはいる。しかしここで疑問になるのが、沖田総司の人物像がそれ以前本当に「殺人鬼」という認識だったのかということである。

 仮にその「殺人鬼沖田総司」が出演するのが大佛次郎鞍馬天狗』のような勤皇サイドのものであったなら、それは勤皇志士視点の物語であるから当然悪役に成り下がるワケで*4、これを「=当時の認識」として捉えるのは果たして適切かと考えてしまう。

 考察するに、今の「爽やか美剣士」を造形したのが司馬であって、以前の「血に飢えた狼」を造形したのが大佛次郎だったのではないか。世間の沖田総司史観について、皆史実や時代背景よりも「その時人気だった作品のイメージ」に引っ張られているんじゃなかろうか。とすれば「戦前だから新選組は悪く描かれていた」というよりも、例えば「『鞍馬天狗』が有名すぎたので、全体的に造形がそっちに寄った」という方が正しいような気がする。

 この「殺人鬼沖田総司」を是非僕は観てみたい。そう思ってGEOとTSUTAYAに走ったが、当然ながらどこにも戦前の幕末映画なんて置いてないのである。

 Amazonにならあるのだろうか? と思ったがよくよく考えるとその戦前映画のタイトルすらわからん。相棒のiPhone君曰く、戦前の新選組映画に『大殺生』*5というなんとも物騒なタイトルがある。そこでは春見堅太郎が沖田を演じており、どうやらその辺りから「沖田=美剣士」が始まったようであり、これを見ればひょっとすると「血に飢えた美剣士」という中間点を観れるのではないかとワクワクしている。まあ当然Amazonには無かったし、何処で観れるか知れたもんじゃないが。

 

終章・沖田総司を探して

 ここまで沖田総司のビジュアルと人物像の二方面から話をしてきたけども、結局のところわかったことと言えば「何もわからん」ということなのである。

 美形かと思えばヒラメ顔、かと思えばそうでもない。遺族の証言といったって、「色白で小柄」「色黒で背が高い」とてんでバラバラだから全く分からない。

 後世の描かれ方だって、血に飢えた狼かと思えば爽やかで寂し気な青年であったりと、コッチもばらばらである。

 確かなことは沖田総司新選組でその芸術的といえる剣術でもって京の街で暮らし、そして生き永らえ、労咳で寂しく一人死んだということ。

 この史実がある限り、何度でもこの男の性格は変わるような気がする。そうして全く新しい「沖田総司」が主流になって、映画化するような気がする。そうしてGEOの時代劇コーナーの「お」に置かれていたら、その時の僕が真っ先に借りていくだろう。

*1:Wikipedia沖田総司」の「人物」より

*2:みなもと太郎『挑戦者たち増補改訂版』平成26年6月20日

*3:牛原虚彦監督 昭和17年5月14日

*4:現代では逆に薩長や朝廷が姑息で嫌な奴に描かれることが多い気がする

*5:白井戦太郎監督 昭和5年