谷三十郎への道程

谷三十郎という武士を名乗らせていただき、もう五年になる。

近頃はもっぱら、ウケを狙うツイートばかりである。それは歴史ネタが尽きたとか、幕末を扱った作品が近頃少なくて波に乗れないとか、そういうことでもある。

しかしそれ以上に、僕自身の「谷さんをやる」という意識が少しずつ変化していったのである。

 

まず、僕は谷三十郎さんを名乗る上で、彼の知名度向上に貢献できればと思っている。

ただその時、必ずしも谷三十郎が如何に史実で立ち振る舞ったか、司馬遼太郎子母沢寛が如何に書き落とした、あるいは読み落としたエピソードがあったかを、僕が語る必要は無い。

 

そんなことは、谷三十郎のことを調べてくれた諸氏がいずれ必ず辿り着く道程なのだ。

僕たちの役目は、皆さんに谷三十郎を調べてもらえるように仕向けること。これが難しい。

だからこの名前でスペースもやるし、寝落ちするし、酔っ払って女の子にデレデレしてあげているのである。全部計算してやっているのである。

 

そして今日、質問箱にこんな質問が来てきた。

(以下、抜粋)

 

「どういった きっかけで谷さんになられた(!?)のでし ようか。谷さんのどんな所が好きで谷さんに なられたのか気になります」

 

 

答えねばと思ったが、彼(彼女)は谷三十郎ではなく、谷三十郎の内臓(つまり僕)に問いかけている。

そのためこうしてブログで答えることにした。

 

谷三十郎をやったキッカケについては、スペースで何度か話した。

しょうもない理由である。

新選組が途方もなく好きだった僕は、武田観柳斎谷三十郎のどちらをやるかで迷った。結果、谷三十郎を選んだ。それだけである。

 

なぜ谷三十郎なのか。

 

武田観柳斎だと、これはキャラが濃すぎる。僕の大好きな隊士ではあるが、彼を愛されキャラに昇華することには意味を感じない。

むしろ、もっと無名で、みんなが読み飛ばしてしまうような、谷三十郎のような人間を名乗ることにこそ意味がある気がした(失礼だが)。

 

そして、やっていくうちに僕は谷三十郎が大好きになっていた。

身内贔屓、というのもあるかもしれない。

しかし僕はもっと根本的に、人間的に、彼の魅力に気づいてしまった。

僕は人に比べて、苦労をせずに育った。虐待に苦しんだこともなければ、貧困に喘いだこともない。要するに、甘やかされて育ったのである。

だが、僕にも悩みはある。悲しみはある。胸の内を聞いて欲しくてたまらないことがある。

そんな時、人は僕の悩みを「贅沢な悩み」と嘲笑するだろう。自分の不幸自慢をするだろう。

 

でも谷三十郎は。

武家として生まれ、それでいて二人の弟の面倒を見ながら、懸命に父親から教わった剣術を頼りに幕末を行きた谷三十郎は。

「お前も大変じゃなあ」

と、引き笑いをしてくれる気がするのである。