映画「CHAIN」の感想

司馬遼太郎燃えよ剣」が公開されたのが今年の10月だった。それから数ヶ月を経て、今度は御陵衛士を主題とした本作を観賞した。

 

そこには間違いなく、「燃えよ剣」では決して描くことのできない独自の魅力があった。

新選組を美化する風潮から逸脱しつつ、かといって昭和初期〜中期のような露骨な悪役にも描いていない本作。

これまで歴史人物を英雄視しつつ、そのどちらかを描くことで極端な新選組像ができあがっていたように思うが、「御陵衛士」と「庶民」に焦点をあてることで実に生々しく、醜くも儚い新選組が描かれていた。

 

また作中でちょくちょく背景が現代になるのだが、筆者としては実に好きだった。

時代劇は舞台が江戸時代でも、それを観賞するのは現代人なのである(当然だけども)。

それにあって、最も伝わりづらい「その場所の雰囲気」の表現としてこれ以上ないやり方だと思う。

そう、油小路は月形半平太が満月バックに歩いてくるような花道ではなく、そこらへんの普通の路地なのだ。むしろそこでチャンバラが起こることに意味がある。

 

ところで。本作はその主題上、有名な隊士たちは数えるほどしか出てこない。近藤勇土方歳三はともかくとして、沖田総司井上源三郎山崎烝のようなおなじみの顔は出てこないのだ。

ただその代わりに、まだ人を斬ったことのない後輩に人生観を語りながら小便をする武田観柳斎がいた。御陵衛士の中でも慎重派で、地元の訛りが隠せない毛内有之助がいた。沖田や斎藤のようなカッコよさを決して持たないまま人斬り鍬次郎になってしまった大石鍬次郎がいた。

筆者は実に、実に満足である!!

 

と、ここで筆者は思った。本作では現代の京都を見つめる斎藤一や、商店街で殺し合う山川桜七郎と松之助、地下鉄前を歩く惣吉とお鈴が出てくる。

これは「時代が変わっても、人の行いは変わらない」というメッセージだと思っているのだが、そうすると現代にも、新選組たちはどこかにいるんじゃないだろうか。

どこかで、弟のせいで会社を首になって、家を追い出されたまま弟たちと起業して、ベンチャー企業に売り込みをやってる、弟をたちを放ってはおけない、周りを見下しがちな、お酒の大好きな谷三十郎がいるんじゃないだろうか。

それに気づいた時、なんでか泣いてしまった。